仏壇通り若旦那達のぶっちゃげ業界トーク 第2回
江戸時代から続く店も多い仏壇通り。若き店主たちは、ライフスタイルの変化につれて変わるお祀りのかたちに対応するべく、日々模索を続けています。
そんな彼らの本音をじっくり伺ってみました。
参加者
株式会社みす平總卸店 前田裕平
株式会社山本仏具店 山本裕基
有限会社金田商店 金田浩一
現代の供養・祈りのかたち
– 仏壇通りのイベントで来場者にアンケートを取ったのですが、「どうして供養が必要なの?」という、とても基本的なことを疑問に思う方もいらっしゃいました。
前田
神道の場合、人が亡くなると遺した家族を想う気持ちが霊璽(れいじ)に乗り移って、家を守る神様になるとされています。神様になって365日家族を見守ってくださると。
仏教の場合は…僕が前に聞いたのは、仏壇は家の中の小さなお寺で、修業の場なんだと。お題目をあげることで自分が高められて、それで極楽浄土に近づくんだということでしたね。
山本
仏壇が修業の場になるっていうのは、宗派によっても違うので一概には言えないかもしれませんね。僕の印象では、多くの日本人にとって、「仏教=ご先祖様の供養」になってきている気がします。仏壇は中央にご本尊がいらして、両脇には脇侍(わきじ)という別の仏様や開祖様の仏像や掛け軸が祀られていて、一段下にご先祖様の位牌があって。そして手を合わせて、ご先祖様のご冥福をお祈りしたり、願い事をしたり、誰かの為に祈ったりするんですけど…今は、ご本尊様に手を合わせるというよりは、ご先祖様、もっといえば、もっと身近なお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんと対話する場になってきている気がします。
前田
神道も同じです。むしろ、日本の仏教は、仏教という名前のついた神道だと思いますよ(笑)
仏壇や神棚でご供養をするのは、ご本人の心の安らぎのためですよね。ご先祖様に手を合わせることによって、自分の安心をもらう。
山本
今は「葬式仏教」なんて言葉もありますが・・・ご先祖供養の色合いが強くなったのは江戸時代からのことで。もともとは、仏教が人々にもたらしていたものは人の生き方だと思います。
だからこそ仏教は、古くは国造りの土台となり、その後人々の心の拠りどころとしてあり続けられたのだと思います。
金田
『リメンバー・ミー』っていうディズニー映画がありましたよね。ご先祖を想う心を忘れないかぎり、魂がひとととき、戻ってきてくれる。
山本
メキシコが舞台のお話でしたね。面白いと思ったのは、登場人物は間違いなく仏教徒ではないはずなのに、そういう思想があるってことです。地球の裏側で似たようなことを考えているっていうのは、とても象徴的だと思います。どこの国の人も、おじいちゃんおばあちゃんが帰ってくる、ご先祖様が帰ってくるかもしれないことが心のよりどころ、平安になっている。その結果、生きている人も精神的に充実するっていうことなんですよね。
今は文明が発達して、生活様式が変わったから我々の精神構造が全く変わったかというとそんなことはないと思います。仏壇や神棚に手を合わせる、ご先祖様に手を合わせることで心の充実を得られる、ってことは今でもあるんじゃないかな。
そして、昔ながらの形式を守らないと保たれないものなのかというと、多少やり方が変わっても供養する人の想いは変わらないのかもしれない、という気がしています。
僕たちの商売的には苦しくなっちゃうかもしれませんが(笑)
金田
供養という言葉が良くないかもしれませんね。言葉がわかりづらくさせているのかも。
山本
お釈迦様が説かれていたのは、「人の生き方」だと聞きました。例えば、『こういう風に考えて、こういう風に生きたらいいんじゃない?』ということを教えて回られたと思うんです。亡くなった方の供養の仕方をメインで教えたわけじゃないと思うんですよね。
―現代の生活になじむ供養のやり方、って何かあるのでしょうか?
前田
日頃のご供養は、気持ちがこもっていればいいと思いますよ。ご先祖様や神様に対して何日もお線香あげなかったりホコリまみれにしたりしたら申し訳ない、と自然に思えるものではないでしょうか。
金田
これが絶対、という作法はないですよね。
お盆のお祀りだって、昔は焙烙(ほうろく)っていう道具で火を焚いて目印にして帰ってきていただいていましけど、今は焙烙なんか売ってないし、火事の危険があるから危なくて昔どおりにはできませんよ。お迎えするための乗り物だって牛に見立ててナス、馬に見立ててキュウリに楊枝を差して飾りますけど、今ならフェラーリのミニカー飾ったっていいんですよね(笑)
そういうところは今風にして構わないと思います。
山本
故人が好きだったものをご供養に取り入れるのは、いいことですよね。
前田
究極は、自分がお墓で祀られた時に何をしてもらったら嬉しいのかを考えてみればいいと思います。自分が神様だったらこうしてくれたら嬉しい…それが答えですよね。
山本
故人がフェラーリが好きで、お仏壇やお墓に置いてもらいたいという気持ちがあったなら、それでいいと思いますよね。お坊さんに聞いたら「それはダメだ」だとおっしゃるかもしれないけれど。
前田
お墓だって、今は故人が好きだった形にする方が増えていますよね。
金田
そういう意味では、ペット供養は批判的に見られることもありますけど、やり方としては合っているのかもしれませんね。ネコちゃんやワンちゃんの好物を供えて、お線香も好物の香りがするものにしたりして。しきたりや前例に関係なく、「あの子が好きだったから喜んでくれるはず」で気兼ねなく供養してやれますからね。
前田
ただやっぱり、人のご供養だったらやり過ぎはちょっとね。常識として伝統やしきたりを重んじるのか、自分の思うがままにするのか、その兼ね合いは難しいところですね。
金田
やはり、お寺さんや僕たちが、伝えていかなければならないことかなと思いますね。